人って、なんでもかんでも「誰かのせい」、「何かのせい」にしがち。
つまり、「他律的考動」。
それじゃあ何も解決しないということに、気づいていないのか、気づいていてもそうしてしまうのか。
気づいてない人は、正直論外。
私はそういう人とは関わらないようにしている。なぜなら、他律的な人が周りに多いと、他律的考動に侵されていくと理解しているから。
確かに、他律的でいると楽です。自分が変わる必要がないから。他人に押し付けておけばいい。
しかし、それでいいのだろうか。
他律的考動の根本には、何か課題があることが多いと思う。では、その課題が他律的考動で解決できるものなのか。
答えは、否。
課題解決をしようとすると、自分が変わるしかない。他人は自分が思うように変わってくれない。そもそも、自分のことも理解できていないのに、他律的考動になることが傲慢。
人間って、弱く愚かで醜い生き物だという謙虚な自覚がないと、「私は頑張っているから」と傲慢になり、誰かのせいにする。
皆さんは、気づかないところで、傲慢な人間になっていませんか?
そんな問いを持つことは、人間社会を生きる上で重要だと思う。
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担当者:社長 伊藤